冷たい月夜
冷たい月夜_b0041397_0422595.jpg※気分が悪くなりそうなかたや、暗い気分になりたくないかたは決して読まないでください。読んでも大丈夫と自信の持てるかただけ読んでください。

日曜日。
朝まで続いた楽しいパーティーの気だるさを一日引きずっていた私は、夜になりお腹が空いてる事に気付き近所のスーパーへと買い物に出た。

外はすっかり冷え込んで空気が冷たかった。スーパーまでの直線の道は犬の散歩をしている人以外誰もいない。一本隣は大通りだがこの道は住宅街に面していて普段から夜は人通りが少なかった。街灯もあまり無く暗い。

スーパーに向かって真っ直ぐ歩いていると、一人のおじいさんがマンションの壁伝いを歩いている後姿が目に入った。杖は持っているが壁に張り付くように手をついて立っている。左腕にはコンビニのビニール袋のようなものを下げていた。

おじいさんは歩いているのだけど、足が固まってしまったのではないかと思うほど歩調が遅い。一歩で5センチ程しか進めないように見える。それでもネジ巻き人形のように壁に顔を向けて歩いている。おじいさんが目的地に着くには何時間もかかると思われた。この先しばらく民家はない。学校が並んでいるから。

この寒い中、おじいさんは一体どこに向かってるんだろう…。一瞬不安になった。足の悪い一人暮らしの老人が、買い物に出たのはいいが寒さで足が言う事をきかなくなり、家路を必死に歩いてるのではないだろうか?

おじいさんを通り越して振り返ってみた。壁を這っているおじいさんの顔は見えない。買い物を終えて戻ってきても同じ辺りを歩いていたら声をかけてみよう、と思いそのままスーパーに向かった。

約一時間程だろうか。広いスーパーの中をウロウロと買い物をし、おじいさんが同じ場所に居ない事を心の中で祈りつつ、不安な気持ちで帰路についた。

踏み切りを越えて角のローソンに差し掛かった時、暗い道でポッカリ明るいコンビニの前に男女の手が見えた。男性は膝をついてしゃがみこみながら携帯で話をしている。携帯を持った手と反対の右手を直角に曲げて上に挙げている。その手の平を向かいで立っている女性が軽く掴んでいる。

「カップルか…」と思って通り過ぎようとした時、少し様子がおかしい事に気づいて目を戻した。女性も男性の手を掴んだ手と反対の手で携帯を持ちなにやら話している。女性の表情は歪んでいた。もの凄く怖いものを見るような目で泣きそうな顔をしていた。

掴まれた男性の右手は薬指が無かった。

正確に言うと指はあるのだけど、肉がない。薬指だけ、第二関節から指先まで赤いペンキに浸したように真っ赤に染まっていた。キレイに骨だけになっていた。昔、中国か韓国の食べ物で鶏の足だけを唐辛子に浸したものを貰ったことがあるのだけど、男性の薬指はまるでそれだった。

女性は携帯で話しながらコンビニの店内に入っていった。応急処置の方法でも聞いているのだろうか。男性は親族とでも話しているのか、そんな大怪我をしているとは思えないほど普通の顔をして普通の会話をしている。ショックや興奮から痛みをあまり感じないのだろうか。周りに人はいない。

一体あの指先はどうしたんだろう?何かに挟んだのだろうか?あまりの怖さに頭の中が一杯になって歩いていたら、前方におじいさんが見えた。やはりおじいさんはいた。少しだけ、進んで学校の前にいる。

おじいさんは学校の前にある噴水のオブジェに身体を預けて溜まった水をちゃぽんちゃぽんと手で掻いている。この寒いのに無心でちゃぽんちゃぽんと水を掻いてる。ぼけている老人だとしたら家族が探してるかもしれない。声かけるべきか悩んだが、単なる散歩だったら失礼かもしれない、もしかしたら家族が探しに来てるかもしれない、前に止まった車がそうかもしれない、そう考えてそのまま通り過ぎてしまった。

家に帰って暖かい部屋に入ったら、妙な気分になった。

一週間程前の夕方、渋谷ロフトの裏道で見かけたおじさんを思い出してしまった。ビルの生垣に埋もれるように座ったまま倒れこんで寝ていたおじさんに、横を通り過ぎるまで気が付かなかった。真っ青を通り越して真っ黒い顔をしてヨダレを垂らして寝ていた。

違う。多分おじさんは死んでいた。明らかに死んだ人の顔だった。

泥酔してそこで寝てしまい誰にも気づかれず寒い一晩をそこで過ごし、気づかれても渋谷の裏道でおじさんに声をかける人など一人も居ない。後ろを振り返ったらカップルが恐ろしげな顔をしておじさんを横目で見て通り過ぎた。

そうして、おじさんは死んでしまったのかもしれない。

もしかしたら生きていたかもしれない。警察に電話をしたら救急車が迎えに来ておじさんは寸での所で助かったかもしれない。でも私は急いでいた。そのまま後ろのカップルと同じように通り過ぎてしまった。私以外の誰かが警察に電話してくれやしないかと、期待をして通り過ぎてしまった。

なんだか、冷たくて硬い空気が心の中にヒュっと入り込んだような気分になった。
自分になのか、世の中になのか。

怖くて何もできなかった自分に、か。

by kebweb | 2005-11-27 23:59
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